福岡高等裁判所 昭和44年(う)216号 判決 1969年6月30日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役四月に処する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人宗我達夫提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
同控訴趣意第一点(事実誤認)について
論旨によれば、原判決は判示第三の犯人隠避の教唆が判示第一の(四)の事実につきなされたと認定しているけれども、右教唆が判示第一の(一)の犯罪に関するものであることは記録上明瞭であって、右の事実誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄を免れないというにある。
しかし、事実誤認とは罪となるべき事実についての判断又は該判断が形成される過程における誤りであって、既に心証として形成された判断内容を記述する単なる表現過程における誤りではない。言い換れば、判断又は推理の実質的な誤り又はその結果(命題)(この記述と推理が不可分に融合した領域における誤りのうち、多くは理由不備又はそごとなり、その他は事実誤認というべきである)であって、形式的な記述段階だけの単純な誤りをいうものではない。したがって、誤りの原因が純然たる記述過程のみに帰因する場合は事実認定の誤り(誤認又は誤解)ではなくて、単なる誤記と解すべきである。かかる誤記は判決書の記載自体、つまり文字(記号)、前後の文脈又は関連記載との照合により、正しい記載が読み取られ誤記であることが判明する場合、そうでない場合でも、記録と相俟って、単なる記述段階における誤記にすぎないことが判明する場合をも含むものというべきである。
本件においてこれをみるに、所論指摘の部分は事実に関する命題の誤りではなく、原判決が記述の便宜からふした符号のうち、(一)と記載すべきところを誤って(四)と記載したことが、右判文の前後の記載を記録に照応させただけで判明し、単なる符号の誤記にすぎないことが明らかである。
そうすると、適当に訂正すれば足るところの形式的な表現上の誤記にすぎないから、判決に影響を及ぼすものでないことはもちろん、本来刑事訴訟法三八二条にいわゆる事実認定の誤りではないというべきである。論旨は理由がない。
同控訴趣意第二点(量刑不当)について
よって検討するに、被告人の多数の同種前科、本件違反の態様及び回数等よりみれば、被告人には道路交通法規を遵守しようとする意識があまりにも弱く、これまでの罰金等による度重なる処罰にもさしたる効果を認め得ないので、原判決の科刑もやむを得ない観がないでもないが、所論の被告人に有利な原判決後の事情や被告人の家庭の情況等を併せ考えると、原判決の刑期は長きに失し相当でない。論旨は理由がある。
そこで、刑事訴訟法三九七条、三八一条に則り原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い自判する。
原判決の確定した判示各事実(但し判示第三の記載中一行目の「第一の(四)」とあるうち(四)は誤記につき「第一の(一)」と訂正する)に法律を適用すると、原判示第一の所為は道路交通法一一八条一項一号、六四条に、同第二の所為は同法一一七条の二、一号、六五条同法施行令二六条の二に、同第三の所為は刑法一〇三条、六一条一項罰金等臨時措置法三条に各該当するところ、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文一〇条により最も重い第三の罪の刑に法定の加重を施した刑期範囲内で、被告人を懲役四月に処することとし、注文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 塚本富士男 裁判官 平田勝雅 高井清次)